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バリ島最初の航空機墜落事故の追悼儀式


23日、デンパサール市のパダンガラッにて、1974年4月22日に107人もの犠牲者を出した、バリ島初の航空機墜落事故で亡くなった方々を追悼する儀式が行なわれた。

恐らく多くのバリ人でさえ、パンアメリカン航空機事故の慰霊碑がパダンガラッにあることを知らないだろう。

人かの儀式遂行者である僧侶と、犠牲者となった方々11カ国からの総領事らが、この初めて行なわれる追悼の儀式に参加した。

2名のバリ人の他、オーストラリア・フランス・カナダ・ドイツ・中国・インド・日本・フィリピン・スウェーデン・アメリカ国籍の方々が、この事故の犠牲者となったのだ。

儀式は午後3時、イダ・プダンダ・スバリ・ティアニャール・アリンバワ僧によって始められ、アグニホトゥラと呼ばれる鎮魂の儀式へと続いていった。最後に、パダンガラッの海へ祈りを捧げて終わった。

他に参列した顔ぶれには、地方議員のイ・グスティ・ングラ・アルヤ・ウェダカルナ氏、デンパサール副市長イ・グスティ・ングラ・ジャヤヌガラ氏、クシマン村の有識者などがいた。

「ここに慰霊碑があることを、歴史を覚えていた人がいた。事故はブレレン県のグロッガック郡で起きたが、パダンガラッに慰霊碑を建てたのだ。」と、ウェダカルナ氏は儀式の前に述べた。

この慰霊碑は、当時のバドゥン県知事ワヤンダナ氏、及び、バリ州知事スカルメン氏が建てたものだ。1974422日の事故は、今回初めてこの慰霊碑の前で鎮魂の儀式が行なわれた。

「この儀式の目的は、目に見える世界と目に見えない世界のバランスをとる事。パダンガラッは、神聖な地域であるにも拘らず、売春地区というネガティブなレッテルを貼られている。悪いイメージを払拭し、この儀式を通して目に見えないポシティブなエネルギーが与えられることを願う。バリ爆弾テロ事件と同様に、追悼式を行い毎年祈りを捧げたい。」と、ウェダカルナ氏

1974422日、パンアメリカン航空機は香港を出発しオーストラリアのシドニーへ向かう途中、バリ島のングラライ空港に一時着陸をする予定であった。しかし、香港から4時間20分の飛行の後、あと5分でングラライ空港に到着するというところで、ブレレン県グロッガック郡パタス村のティンガ-ティンガ山に激突し、丘の斜面に墜落した。

この事故は、バリ島で起こった始めての航空機墜落であり、107名もの犠牲者を出した始めての大事故でもあった。

この事故の後、パンアメリアン航空は、バリ島を経由する香港-シドニー間のルートを撤回したという。


via Tribun Bali


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