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ニュピを警備するバリの慣習警備隊‘プチャラン’


‘プチャラン’の語源は、神学者によると、‘チャラン’‘チェラン’=『警戒』を意味する言葉から来ているという。そこから、‘プチャラン’、つまり慣習村の治安を監視する役割を持つ人という言葉に変化していったと思われる。

慣習村に関する2001年法令地方自治法第3号では、プチャラン、或いは、ランラン、又は、他の名称で呼ばれる、バンジャールレベル、或いは、慣習村レベル地域の治安、及び、秩序を監視する為の任務と権力を持ち合わせた、バリ民間の伝統治安自治組織を認めている。一部の地域では、プチャランは観光産業を支える、バリの重要な資産を守る為の使命を受けていると位置づける。

幾つかのプチャランの由来に関する話がある。幾つかは、プチャランの前身は1998年にサヌールで闘争民主党(PDIP)の大規模な決起集会の際の、治安維持の為の‘任務’から始まっているという。また、別のところでは、1970年代末期、バリ芸術祭開催の際にバリの伝統衣装を着て、交通や駐車場の整理の為に編成された、という説もある。

また、他にもプチャランは昔の王宮の警備員から現代に生まれ変わったもの、とも信じられている。1965年の暴行、いわゆる、共産主義を非難、或いは、共産主義者迫害を実行した時の、責任あるギャングがプチャランであった、という説もある。

プチャランの由来や背景から離れ、一つ確実なのは、プチャランの出現は慣習村の存在を確認するものだ。バリの一般民衆は、その昔、国家の排他的領土だった地区に入り暮らし始めた。ある調査により、デンパサール市だけでも、36の慣習村を守る1,450人のプチャランがいることが分かっている。数を比較して欲しい。デンパサール市の警察官の総計は1,801人である。

プチャランは、独自の可能性を秘め、以前は国が管理していた低地にゆっくりと入り込んだ。以前は、警察が一本化して治安を務めてきたが、徐々に警察はプチャランと調整し治安を行うようになっていった。一方で、バリの治安が充実した事も関係がある。しかし、対抗する地区の治安の管轄範囲を取り合う事になり、警察とプチャランの間で範囲を取り合うことにもなりかねない。

バリがASEAN首脳会議や2011年に東アジアサミットの主催地となった時、プチャランも現地の治安に活躍した。このことで、2002年と2005年に爆弾テロの標的となったバリ島は、大幅に信用を取り戻したことになる。この国際的なイベント実行の中で、関与するすべての要素および役割を拒否することなく、プチャランという慣習村の一般民衆の参加が、この時確認されたのである。


via Sejarah Bali



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