ムハマッド・ジュディ・イブラヒム氏とその妻は、数百人の命を奪ったミナでの事故の被害者に、もう少しのところでなるところだった。
西カリマンタン、サンバス出身の60歳のこの男性は、サウジアラビア時間朝7時頃、ミナ地区にあるマクタブ1のテントから団体で一緒に出発した。その時、ジュディ氏は両親と共にジャマラートに向かっていた。
マクタブから2時間歩き、彼と家族は204通り、又は、アラブ通りと呼ばれる通りに着いた。その時、何だか物凄い人の群れが、先を急ぎ始めているように感じたという。「その辺りから、人々は既に争って先を急ぎ始めていた。歩いている時、少し道が曲がっているように見えた。距離は約750m先で、小さな扉から、言い争いながら大勢の肌の黒い人達が、手荒に前の人を押していた。」と、25日、ジュディ氏は話した。
この状況を見て、ジュディ氏も、母親と妹をかばいながら進んでいった。しかし、何と背の大きな人々に挟まれてしまった。「私は、脳梗塞も心臓病にもかかったことがあるが、自分は一番強いという自負があった。しかし、人々に挟まれたとき、もうダメだと思った。強い日差しと人々の多さに殆どめまいを起こしていた。人が大勢の下敷きになり、踏まれて圧死する事故が起こる10分前、どういうわけか、それまで自分とはぐれていた、‘スリ・ハルヤティ’という名の自分の妻の手を見つけて握ることができた。めまいで倒れる前に妻の手を引っ張った。」と、同氏。
彼と妻は、背の大きなトルコ人に助けられ、道の脇に寄ることができた。人の流れをもう止める事ができなくなっていた危険な時に、そのトルコ人は足を高く上げて、この夫婦を護ったという。「私には彼の言葉が分からなかったが、恐らく、進め、進めと言っている様だった。」
しかし、現場の状況は益々ひどく、周りにいた大勢の人々の姿が見えなくなり、皆、自身を守る事に精一杯という危機に瀕した。ジュディ氏と妻も、更に肌の黒い人々に挟まれ、道の更に脇に追いやられていった。またもや、トルコ人に助けられ、そこで飲み物と氷を与えてもらった。その時、目の前に沢山の死体を見た。その多くは、肌の黒い人々だった。
更に危険な状況になっていく中、ジュディ氏は、今度はアラブ人に救われ、安全な建物の中に運ばれた。そこでアラブ人が、豪華な食事を振舞ってくれた。それから、夕方4時頃、夫婦は診療所に案内され、一晩中治療を受けた。その後、インドネシア・ハッジ事務所に戻った。そこで、一緒にいた団体の中の一人が、あの事故で亡くなった事を知らされたという。
via Tribun News
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