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クタビーチ、アイス売りの少女 -1977年-


観光地となる前、クタはバリ以外からの買い手に国内商品を販売する港の一つであった。19世紀、デンマークの商人マッズ・ランジュはバリ島を訪れ、クタに商業の基礎を構築した。彼は、交渉事のプロで、バリの王族やオランダの間で有名になった。

続いて、フーマー・ベットは“パラダイス・オブ・クタ”と言う題名で、観光客向け宿屋設備を準備しようという現地住民を誘う内容の著書を発行した。目的は、バリ島を訪れるだろうと予想される膨大な数に上る観光客対策の為であった。この本は、やがて観光客の為の民宿、レストラン、娯楽場設備建設に携わる多くの人々に、インスピレーションを与えた。

このようにクタで棚ボタ式利益を追求したのは、大手の企業だけではなく、個人経営者、物売りに至るまでであった。インドネシア国内の幾つかの場所では、物売りや屋台は、政府、権力者、事業者から邪魔者と見なされた。彼らの存在は、景観や整地など環境を汚す者とされた。事業者にとって物売りは、安い値段で直接顧客を自らの足で捕まえに行く、目障りなライバルと見なされたのである。

しかしクタビーチは、物売りにとっての‘残された最後の天国’となった。彼らは、普通は行商人の屋台をひっくり返し、破壊して商売を中止させる、環境整備職員や公務員警察らに、ここでは追い立てられることもなかった。白い砂のクタビーチでは、早朝まだ白人たちがサーフボードを抱えてやってくる前に、物売りらの日常は始まり、日の出から日の入りまで働くのだ。

けれども、100人近くいると思われるクタビーチの物売り達は、無料で物売りをしているわけではない。ビーチで販売を行う為には、慣習村に場所代を支払わねばならない。慣習村から販売許可の取得は、300万-1,000万ルピア(販売する場所によって差はある)で、月々の支払いには、30万ルピアを納めているのである。


via Sejarah Bali



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