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バリでヒンドゥー教のプマンクーになった豪州人の物語


パクリサン川のほとりに、豪州人のジェロ・マンクーであるジェロ・マンクー・ブディ・ダルマ氏自身がデザインした自然の雰囲気を残した家がある。瞑想の練習を行なう為の宿舎も設置してある。


愛称をジェロ・ブディというこのプマンクーは、ギャニャール県ブラバトゥ郡ボネ村バンジャール・ボネクロッドに家を持つ。家の各建物は階段で繋がれている。カンボジアの木と鳥の声が一つとなり、自然な雰囲気が重視されている。しかし、入り口の扉から階段を、北方向にある家屋に向かって下りていくと、金髪を一つに結んだ一人の白人がいた。

川のほとりといっても、家は崖の中腹にあり、川まではかなりの距離があり、水の音は聞こえない。

バリのヒンドゥーの人々は、宗教儀式の際このジェロマンクーに導かれた。ジェロ・マンクーは、通常はマンクー家系の末裔であるか、または、ヒンドゥーの宗教上の決まりの基に選ばれる。ジェロ・ブディは‘白人’ジェロ・マンクーなのだ。



本名をイアン・フィデスというこの方は、約20年前にバリを訪れた。「私は、シワブッダ-ブッダタントラヤナの教えを授けてくれる先生に会うために、バリ島にやって来た。」ジェロ・ブディの語る言葉は生き生きとしている。それは、まるでジョークが点在するパントマイムを見ているようだ。

ジェロ・ブディが勉強に訪れた1994年頃、ブレレン県のスリ・アチャルヤ・ラトゥ・クマラ・パンジ・パンディタ僧に教えを請うた。学びの結果、彼はバリヒンドゥーダルマ教のシワブッダを理解した。それから、ヒンドゥー教に心から確信するようになった。その前に、ジェロ・ブディは、全ての宗教について勉強をしている。

I don't understand, 私は少し混乱し始めた。それで、シワブッダ-ブッダタントラヤナについての仏陀の物語を読んで、34歳の時仏教徒となった。」青い目のジェロ・ブディは、コーヒーを飲みながら、英語とインドネシア語を混ぜて語った。

幼少の頃から、一人でじっと座って空を見上げながら流れる雲を眺めるのが好きだったという。一人で瞑想する事も好きで、それは、心を心地よくしてくれるものだった。

ジェロ・ブディはヒンドゥー教徒になってから、頻繁に寺院を訪れ祈りを捧げるようになった。すると、不思議なことに、目に見えない世界を見る人々、不思議な能力を持っている人に遭う度に、必ず、神に奉仕する人になるための儀式を行なうようにとアドバイスされてきた。

2002年ブレレン県のティルタ・クティパット寺院を訪れた時、「あの方はマンクーだ。普通の民族衣装を着ているのは、全く似合わない。全部白い装束でいなければならない人だ。」と、その寺院を護るマンクーに言われたという。自分のことを精神世界の人か何かと見て取ったようだった。その時点ではジェロ・ブディは、何を言われたのかまだ良く理解していなかった。しかし、最終的にジェロ・ブディは、師やマンクーの意見に従い、その儀式を受ける事になった。

2004年ジェロ・ブディはブラバトゥ郡ボネ村の現在の家で、初めてサラスワティの儀式を執り行った。しかし、その儀式の意味を良く理解していなかったし、心の底からプマンクーになりたいとも思っていなかった。その頃は、まだ感情的だった。

そして、二度目の儀式は、2005年ギアニャール県グリヤ・ブダ・バトゥアンでイダ・プダンダ・ブダ・ジュランティック僧によって執り行われた。その時もジェロ・ブディは、聖水によって浄化する目的のグループを連れて行っただけのつもりだった。しかし、儀式が終わると、ジェロ・ブディは着ているものを脱ぐように言われた。連れて行った自分が服を脱ぐように言われ、それで聖水で浄化された。

これが、ジェロ・マンクー・ブディ・ダルマとなった日だったのである。これは、イダ・プダンダ・ブダ・ジュランティック僧とボネの人々によって、ジェロ・ブディ本人には知らせずに予定されたものだった。この時の模様は、バリインドネシア・パリサダ・ヒンドゥー・ダルマからの証人もその場にいて、見届けられた。

「この時の儀式では、本当にボネの人々に感謝している。儀式を準備してくれた彼らの後ろ楯のお陰だ。」と、ジェロ・ブディ。2008年に三度目の儀式は、ブレレン県バンジャール郡パンジ村のパンジ寺院で行なわれた。その時、3台のバスが到着した。乗っていたのは、ボネ村とボネ村の北地区にある寺院のプマンクーとバリアン達だったという。


via Tribun Bali





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