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一杯の‘ソト’から始まった美味さの歴史


インドネシアの代表的な料理‘ソト(スープ)’は、とても多くのバリエーションを持つ料理の一つである。インドネシアの殆どの各地域には、独自の特色を持った‘ソト’がある。例えば、ソト・ブタウィ、ソト・クドゥス、ソト・マッカサルなどであるが、まだまだ沢山ある。材料と調味料も、各地域によってそこの住民の好みに合わせて様々である。

しかし、‘ソト’という料理の名を名乗るには、他の‘ソト’との間で違ってはならないポイントがある。それは、汁の色が黄色っぽいということだ。

‘ヌサ・ジャワ’という大作著書の第二巻“クロスカルチャー”で、著者のデニーズ・ロンバード氏は、ソトという料理の起源は、中華料理のチャウド、又は、ジャオトから由来すると言っている。この料理は、19世紀のスマラン付近で人気が高まったが、その後、インドネシアの国民に愛される料理の一つとなった事までは言及していない。

‘ソト’に関して、更に古いものでは、アリー・ブディヤント著の‘ジャオトを追跡ながらソトを食す’という本では、この料理の起源を地図化している。この中の一文に、‘ソト’は、中国の食べ物からのものであり、元々、チャウドと呼ばれていた。チャウドとは、内臓の入った野菜/草類、又は、香味の入った内臓 という意味であると書いている。

現在の‘ソト’には、肉や内臓が入った様々なバリエーションがあるが、起源から歴史を見ていくと、どうやら内臓が多く入っていたようだ。チャウドという呼び名から‘ソト’になったのは、多くの人々に簡単な発音で表現されるために、変化していったものと思われる。

スマランの人々に好まれた‘ソト’は、それから、ジャワ島の北海岸に広がっていった。そして、現在も北海岸では、様々な種類の‘ソト’が有名になっている。例えば、ブタウィとチレボンは似ていて、まだ多くの内臓を使っており、ラモンガンやスラバヤから由来したマドゥラの‘ソト’はとても有名である。

ジャワ北海岸地域で ‘ソト’が広まったのは、この地域には住んでいる華僑が多かった為である。

昔から現在まで、汁料理であるこの食べ物は、権力者や著名人らが好むものではなく、昔は天秤棒を担いで、村から村へと売り歩いたことから、中流階級からそれより下の庶民に好まれる料理である。

時と共に発展し、天秤棒は屋台に変化していった。この屋台 、又は、 天秤の装飾は現在でも‘ソト’を売る食堂に通常使われている。中華料理の内臓汁が発展して今の‘ソト’の形をとるようになったが、現在のような変化、特に地方ごとのバリエーションの多さから、実に多様な、各地方の舌に合わせた料理へと変化していったと言えよう。

ココナッツミルク、コヤ、豆もやし、ビーフン、赤ワケギの揚げた物、ジャガイモ、又、その他の食材は、地域の好みにより異なる。この違いこそが、逆にインドネシア人の人々にとても人気のある所以なのである。

あなたは、どんなバリエーションの‘ソト’がお好みだろうか?


via Merdeka.com



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