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1月8日はシワラトゥリ -シワラトゥリの歴史-


シワラトゥリ(Siwa Ratri/ Siwa Latri)は、‘シワの夜’という意味だ。何故ならその夜に、ヨガをしているサン・ヒャン・シワとして神が姿を変えて現れるからだ。この聖夜は、第7の月プルワニン・ティラム・サシーの日に訪れ、ヒンドゥー教唯一神サン・ヒャン・ウィディ・ワサを前に、これまでの罪を懺悔する為の日となる。シワラトゥリは、又の名を、罪を溶かし失くす夜とも言われる。

シワラトゥリは、下記の行為から成り立つ;

 1. ウタマの行為:
* モナブラタ(沈黙・誰とも会話をしない)
* ウパワサ(飲食をしない/断食)

* ジャグラ(眠らない)

2. マドゥヤの行為:
* ウパワサ(飲食をしない/断食)
* ジャグラ(眠らない)

3.ニスタの行為/これだけをする:
* ジャグラ(眠らない)

 バリ島では、シワラトゥリは、時の高僧ンプ・タナクンによる話、‘ルブダカ物語’と関係がある。

ルブダカは、森で熊や獣を追って殺す狩人として描かれている。ある日、熊を捕らえる事も出来ず、夜になってビラ(ベルノキ)の木に登った。落ちて獣の餌になるのが怖いので、眠気を覚ます為に、彼はビラの葉を摘んで、一枚一枚下の池に落とすことにした。実際には、池のほとりにはヒャン・シワが鎮座する祠があった。ルブダカは、シワからの恵みを与えられ、死ぬ時にはそのまま天国へ召された。彼がそれまで犯した罪は、その晩寝ずにいたために、全て帳消しとなった。


このルブダカ物語から、我々は次のような解釈を得る:

狩人ルブダカは、現状に満足できず、欲を追い続ける我々そのものであると解釈できる。彼は常に、学問や知識を追い続け、美徳を追い続け、良い性格を追い続けた。だからこそ、彼は獣を殺す事ができなかった。殺されるべきものは、欲深い心、サッドリプ(6つの煩悩=性欲・強欲・怒り・混迷・泥酔・嫉妬)、美徳の教えに反する全ての行為である。 

‘自身の中の獣の性質’ 全てを殺し終わった時、彼は熟考した。彼は、やたらに喋る事を止め、断食をし、最も暗い夜に一晩をかけて瞑想した。
摘み取ったビラの葉と、それを一枚一枚落とすことは、神を讃えるマントラを唱えては、一粒ずつ繰り出す数珠玉と同じで、108回目で神からの恵みを与えられたのだ。その恵みとは、心の静寂であり、物質とは切り離された人生の幸福である。彼は、高い精神レベルに到達したのだ。そして、この世を去る時、彼は精神的な旅立ちの準備をした。ルブダカは、誰もが描ききる事のできないあの世、簡単に言えば天国での静けさを得たのだ。



このように、シワラトゥリの日は、一年の内最も暗い夜、シワの夜に熟考を行う日である。自身を覚醒させながら深く熟考すること、良く吟味した言葉だけを話すこと、断食すること、瞑想し何度も祈りを繰り返す事。我々は、いつこの世を去るか分からない。早いとからとそれを止める力も無い。


我々はかつて、シワの夜、シワラトゥリの日に熟考の一つをした事がある。人間ならば、長生きをし、次のシワラトゥリも、その次のシワラトゥリも経験することができるだろう。もし、毎年心を鎮め、深く熟考することができるなら、これほど幸せなことは無いだろう。


via Cerita Rakyat Pulau Dewata



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