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ルドルフ・ボネ、その生き様とバリ芸術発展への功績


ヨハン・ルドルフ・ボネ(オランダ・アムステルダムに1895年3月30日に生まれ、1978年4月18日オランダ・ラレンにて死去、享年83歳)は、オランダ国籍の画家であり、バリでは画家として、また、芸術家として、その人生の大半をバリ島ウブド村で過ごした。彼は、インドネシア、特にバリ島の絵画芸術の発展に貢献した多くの外国人画家の一人として知られている。

1920年代、バリの珍しい文化に魅了され、多くのヨーロッパの画家が絵を描くためにバリ島を訪れた。バリへ行った他の多くの芸術家の奨励も、ボネの興味を引いた。ニアス島に出掛けた際、ボネはバリ島も訪れた。1929年の事である。そして、そこに滞在し、絵を描き始めた。

ボネは早くから舞踊・アラック文化・儀式のとりことなり、定住する事を決めた。ギャニャール県タンパクシリンに2ヶ月逗留した後、ウブド村プリアタンの村長から一軒のパビリオンを借りた。この村長を通して、彼は周辺の有名人を紹介された。ドイツ人の画家ウォルター・シュピース(1895-1942)、ウブド王宮の王子チョコルダ・グデ・ラカ・スカワティ、及び、チョコルダ・グデ・アグン・スカワティ(1931-1950年のウブド王で1978年死去)などである。

彼らは、その後気の合う仲間となり、シュピースがチャンプアンの新しい住まいに移転した時、ボネはウブドのシュピースが住んでいた場所に絵画スタジオを構築した。その後、同い年だが、ボネより先にバリに住みはじめたシュピースと近しくなり、共に働いた。シュピースは、ボネが容易に絵を描けるよう設備を整え、絵のテーマを探す為、シュピースとボネは、社会に関わるようになり、長年に渡りバリのアートライフに大きな影響をもたらした。

彼らは、バリピタマハ芸術家協会を構築した。ルドルフ・ボネとウォルター・シュピースは、その当時、キャラクターと極性の違うバリの同性愛者の外国人を代表した。シュピースはバリの住民に大変栄光のある人として知られ、一方ボネは計画に対し、思考的で真剣なタイプとして知られた。ボネの絵画とデッサンに描かれる顔は、縦長で、直接的な表現をする傾向があり、伝統的な絵画の影響が強く、絵画のインドネシアらしい作品の中での美しさを表現したがっているようだった。

ボネとシュピースは共に、バリの絵画芸術を世界に知らしめる事に多大な貢献をした、バリピタマハ芸術家協会を設立した。彼らはその団体で、バリの絵画芸術の中心と呼ばれ有名になった‘ウブド’を構築することになる、当時のバリの若い芸術家を鍛錬したのだ。

ボネのバリの住民、及び、彼らの芸術への貢献の証拠は、ウブドに設立された‘プリルキサン美術館’からもわかる。プリルキサン美術館は、裕福な芸術家によって建てられた美術館ではなく、この美術館のコレクションの為に、自身の作品を寄贈したボネの努力の賜物なのである。ボネの絵画作品はアグン・ライ美術館とネカ美術館でも鑑賞する事ができる。


via Sejarah Bali



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